フリーマガジン 『Rino』 で大人気連載中の会長執筆のコラムをご紹介いたします。


妻の愛は、亭主以外の全てに向けられている。その徹底ぶりは、どこから生まれるのだろうか。

愛妻は「ケチ」を「節約」と言い張る。その節約の対象は、私にだけ向けられるもので、徹底している。まさか、「あなたには一銭も使いたくない」と思ってらっしゃる訳ではないと思うが、江戸時代のような生活を強いられている。 例えば石けん。1p四方になり、手でこすり合わせたら、どこにあるのか捜索願いを出すようになっても、新しいものを出してはくれない。つい先日、石けん箱を指差して、「もう石けんが無いから、新しいのを出して下さい」とお願いしたら、「まだあるじゃない」と米粒のようなものを発見され、人差し指につけて頂いた。 しかし、この石けんも恐ろしい。こすると泡が立ち、顔が洗えたという、ね(笑)。すべからくそうで、歯磨き粉も、ジェルも、「もう入っていない」という段階から、ハサミで切り刻み、ハンマーでネジの硬い部分を叩き割り、あと3日は使わねば承知しない、と宣言される始末である。 風呂上りに使うバスタオルに至っては、向こうが透けて見えるヘチマの繊維のようになるまで変えてくれず、体を拭くというより、風呂上りのあかすりのようなもので、体中がヒリヒリしてくる状態だ。だが、自分が使うものは、全てがフワフワ、全てがたっぷりで、幸せが凝縮されたようなもの。  愛妻が旅行に行っている時、こっそり彼女の小物を使って驚いた。石けん、シャンプーなど全ての泡がソフトクリームのようになり、バスタオルに至っては、マリリンモンロー(ふるっ)が使ってるのか的フワフワ感であった。だが、帰宅された日、こっぴどく叱られたのは言うまでもあるまい(笑)。



 戻る