フリーマガジン 『リセット』 で大人気連載中の会長執筆のコラムをご紹介いたします。


 男よ、化粧を落とした女に驚くな。手強いのは化粧をしない女である。

 今では随分慣れたが、若い頃は心臓が飛び出る程驚いた。化粧を落とした女が、全然別の人間になることに。

  ある時、ノックもせずにいきなり寝室に入ると鏡の前に座っている女がこちらを振り向いた。そしておもむろに口を開いた。「…みたなぁ」。鍋島藩の化け猫騒動の始まりだった。笑うと目がなくなることは知っていたが、糸のように細かった。セクシーな眉毛は影も形もなく、唇の色はピンクから土色になっていた。アイシャドウは目の下に描く時代になったのだろうか、きれいなクマを描いている。「出たな妖怪」と言葉が出そうになるのをグっとこらえて思わず言ってしまった「ゴメンなさい」。私が何故謝らなければいけないのか解らなかったが、窮地に陥った人間から飛び出す言葉は「ゴメン」であることが判明した。

  さて、最近化粧をしない女が増えているような気がする。私の数少ない経験から言わせて頂くなら、化粧をしない女は何故か手強い。何のポリシーか解らないが、ポリシーを持っていそうで恐い。その昔、化粧をしない同僚がいた。仕事はキチンとこなすし、寡黙で我慢強い女だった。ある時、壺を買ってくれとしつこく言うので「壺はいらん」と答えると「絵を買ってくれ」と言う。

 絵の一枚ぐらいならと後からついて行くと、変な画廊に連れて行かれた。好みの絵ではなかったから断ると、奥の方から人がゾロゾロ出てきて囲まれた。ドキドキしながら見渡すと、全員が化粧をしていなかった。

  しばらくして会社を辞めて音沙汰なしだったが、数年前の日曜日、ピンポーンとチャイムが鳴り玄関に出てみるとその女が立っていた。今度はリンゴを買ってくれと言う。青森から来たというから、ついつい2箱も買ったが顔がひんまがる程しぶかったのが悲しかった。今度、何を売りに来るか想像もつかないが、2つの質問を用意している。「なぜ化粧をしないんですか」そして「あなたは何屋さんですか」。現在に至るまで答えを聞くには至っていない。

  おかげでそれ以来、化粧をしない女は苦手になったが、化粧を落とした愛妻が、否、女が可愛く見えるようなったのは、大きな収穫ではあった。



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